ついに20万PVを突破。これも皆さんのおかげです。ありがとうございます。

班田収授とそれ以降の政策の流れを簡単にまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

公地公民制の誕生

班田収授の文化が出来たのはここからです。大化の改新により、国は公地公民を目指し、政策を立てていくこととなります。

口分田支給

班田収授の文化において最も大きな政策がこれ。国は口分田という田んぼを6歳以上の国民に配給し、そこで取れた収穫物の一部を税として徴収しました。持ち主が亡くなると口分田は国に返されました。

班田収授をよりきっちりやるために作られたのが戸籍。戸籍で人を管理し、徴税を少しでも正確にとることが出来るようなシステムになっていました。

三世一身の方

人口が増加し、口分田が足りなくなってきたということでまず政府は百万町歩の開墾令を出し、開墾を進めますが、うまくいかず、ついに土地の私有を期限付きではありますが認めます。

三世一身の法では、最大で三代まで土地の私有が可能となりました。

墾田永年私財法

それでもなかなか農民による開墾は進まなかった。そこで永遠に私有化してよいという法令が出されます。それがこの法令。

これにより公地公民制が崩壊していくことになります。

初期荘園の増加

墾田永年私財法によりやっとやる気が出た人々はここぞとばかりに開墾を始めます。主な開墾者は寺社や貴族。彼らは財力があったので開墾もはかどり、中にはちょっとした村のような規模を開発するものまで現れました。この村のようなものを初期荘園といいます。

班田収授制の限界

一方の口分田では、厳しい税の取り立てにより浮浪・逃亡などの行為で耕していた土地から逃げう行為が多発しました。こうしてしまうと戸籍で管理をしていても探しようがなくなってきます。

徴税の大きな改革

そこで税制上の大きな改革を行います。

今までは戸籍においてにかけていた税金を土地にかけることにしたんです。

人は逃げても土地は逃げないのでこうすることで早くにかつ効果的に税を取ることに成功しました。

ちなみに明治時代の税制においても土地に重点を置く方式が使われています。現在では戸籍とか年収とかも全部データ化できるので人にかけている税金が多いです。所得税というやつですね。

最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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