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【在野】立憲改進党(民主党系)の歴史を日本史的に総まとめ。(憲正本党・憲正会・立憲民政党)

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

作ったのは誰?

大隈重信です。彼は明治14年の政変で中央政府から離れたあと、この政党を作ります。

支持基盤は?

都市部の知識層を中心に獲得していきました。すでに自由党が地方の地主を支持基盤として獲得していたので差別化を図ったものと思われます。

自由党との違いの一つです。




立憲改進党

初めにできたのがこの党ということになります。ここからどんどん党の名前が変わっていくんですが、それも覚える必要があります。

自由党との関係はライバルのようなもので度々争うことになります。自由民権運動でもライバルのような存在になっていました。

ここから立憲改進党はたびたび改名を行い、今の民主党系の政党にまで続きます。

憲政党

当時の自由党と合併して、その結果政権をとることに初めて成功します(第一次大隈内閣)。しかしその後旧自由党派とのゴタゴタで大隈内閣は総辞職、政党も解散してしまいます。

憲政本党

その結果できたのがこの政党です。

この政党は名前しか出てきません。ちなみにライバルである自由党系の議員は「憲政党」のまま活動を続けていくことになります

憲政会・立憲民政党

大正時代になるとこの名前で活動していきます。そして昭和前期まで、政権を立憲政友会(自由党)と取り合っていきます。憲政の常道と呼ばれるやつです。

総理大臣になった人は加藤高明」「若槻礼次郎」「浜口雄幸の3人です。

民主党へ

戦後、「~民主党」という形で姿を残していきます。

ちょくちょく名前が変わっていたり分裂したりしているので詳しくは試験には出てきません。

戦後すぐの芦田均と2000年に入ってからは鳩山野田内閣と三代にわたって政権を取りました。




最後に

みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら

そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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