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【仲裁者】沖縄(琉球王国)の歴史を流れでまとめ。(貝塚文化・琉球王国・沖縄戦)

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

縄文時代

本土と同じく縄文文化が発展していきます。

ここは特筆するようなところはないですね。

それ以降

本土だと「弥生文化」となりますが、沖縄の場合は貝塚文化と呼ばれる特殊な文化を形成していきます。本土と文化が異なっていった原因としては

  • 気候が異なっていた
  • 土地の水はけが良く、稲作に適さなかった

などが挙げられます。

そしてこの文化が本土でいう鎌倉・室町時代あたりまで続いていきます。

戦国・安土桃山時代・琉球王国の誕生

当時、沖縄は3つの国が支配していましたが、そのうちの1つの中山という国の王である「中山王」が沖縄を統一、名前を琉球王国とします。最初の王は尚巴志です。

首都を那覇とし、できたのが首里城です。

当時彼らが営んでいたのは中継貿易。当時海禁政策で自由な輸出が出来なかった中国のものを日本へ、日本のものを中国へ・・・といった感じの貿易です。商社みたいですね。




江戸時代

江戸時代になると琉球王国は薩摩藩に制圧されてしまいます。そして幕府との関係を保つため、使者を送ることにしました。

  • 慶賀使幕府の将軍が変わるごとに送られた使節
  • 謝恩使琉球の国王が変わるごとに送られた使節

の2つがあります。

当時の関係性としては幕府>琉球だったので、琉球の立場としては

  • 将軍変わると「おめでとう」=「慶賀」となり
  • 国王変わると「これからもよろしく」=「謝恩」となります。

また、薩摩の指示で特産品の「さとうきび」を作っていくことになります。

明治時代・琉球王国の滅亡

明治時代になると事態は急展開を迎えます。

明治政府は琉球を日本のものとするため、琉球処分によって琉球王国を廃止、代わりに沖縄県となります。琉球最後の王は尚泰です。

この後、沖縄には試練が待ち構えていくことになります。

市民権獲得へ

沖縄県となったわけですが、当時の沖縄県民は選挙権が与えられなかったんです。そこで選挙権獲得に尽力する人が現れました。謝花昇という人です。

沖縄県の活動家で、沖縄県民の選挙権獲得に尽力しました。最終的に沖縄県民に選挙権が与えられたのは1912年のことでした。

沖縄戦

沖縄はまたしても試練にさらされます。それが沖縄戦。

太平洋戦争の末期に沖縄の人たちは米軍と戦い、その結果沖縄は凄惨な被害を受けていきます。子供も参加し、ひめゆり隊女子挺身隊が組織されました。

今でも戦火の後は残されており、ひめゆりの塔は有名ですね。今でもいたるところにガマと呼ばれる当時の避難場所が残されていたりします。

そして終戦後、沖縄はアメリカに占領されてしまうわけです。

領土返還

1972年に返還されました。沖縄返還協定によって変換され、当時の首相は佐藤栄作です。

しかし今でも米軍基地が残っていることが問題になっています。移設問題が有名になった普天間基地・辺野古基地、最大級の大きさを誇る嘉手納基地などがあります。

領土返還に関する詳しい記事はこちら




最後に

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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