こんにちは。
今回はこんなテーマでやっていきます。
伊藤博文と言えば超重要人物で覚えるものもすごく多そうですが、まとめてみると意外と覚えるものは少なかったりするんです。
というわけでいってみましょう。
長州藩出身
同じく長州藩出身の人としては
などが明治政府で活躍していくことになっていきます。
個人的な偏見ですが、長州藩は「血の気は多いがその分熱意もある」という人が多いように感じます。
その1:初代~
伊藤は「初代~」にたくさん就任します。
覚えるべきものは
があります。どれも超重要事項です。
その2:憲法作成
伊藤は憲法作成のために憲法が作られる10年前ほどから積極的にプロイセン(今のドイツ)から憲法を学んでいました。憲法作成に熱心に取り組んだのも伊藤の特徴です。
実は先ほど挙げた枢密院は憲法作成の際に作られたものなんです。
その3:立憲政友会設立
伊藤は初代総理大臣になったあと、何回か総理大臣になっているのですが、伊藤には同じ長州藩出身の山県有朋というライバルがいました。
その山県が総理大臣になったとき、彼を総辞職に追い込もうとして作ったものがこの政党です。
立憲政友会は今の自民党に続く政党で名前を変えながらも大正・昭和・平成・令和と日本における第一党として活躍しました。
その4:晩年
伊藤は晩年には政治を行わなくなりました。そこで、後継者を作ることにします。後継者となったのは西園寺公望(さいおんじ きんもち)。
ちなみに伊藤のライバル山県も同じく後継者として桂太郎を選びました。
この2人が代理戦争のような形で政権を取り合う桂園時代はまた後の話・・・
その5:暗殺される
伊藤がというよりは日本全体が反感を買っていたが故の事件です。
ハルビン駅で韓国の安重根に暗殺されます。この時伊藤は韓国統監府の初代統監でした。さっきやりましたね。
まとめ
- 長州藩
- 初代~
- 立憲政友会
- 憲法作成
- 暗殺
まとめてみると意外と覚えるものは少なそう。これならいけそうじゃありません?
最後に 伊藤博文についてもっと知りたいという方へ
伊藤博文はこの記事で活躍します。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
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[…] そこで伊藤博文が憲法を学びにヨーロッパへ行くことにしました。憲法を作ったのは主に伊藤博文です。日本が目指した憲法はプロイセン(今のドイツ)流でした。 […]
[…] 伊藤博文 […]