こんにちは。
今回は藤原氏がなぜこんなにも成長したのか?という疑問に答えていきます。
それではどうぞ。
なぜ成長した?
キーワードは「外戚関係」です
藤原氏は天皇の后に自分たちの娘を嫁がせ、自分たちは后側の権威的な立場に立ちました。そしてこの血縁関係のことを外戚関係といいます。かんたんに言うと天皇の威を借りることにより、政治をスムーズに運営していくことを目指しました。
ここのやり口は古来からよくあるやり方ではあるのですが、藤原氏ほど大規模にかつ長期的にこれを行った家は他には存在しません。
中臣鎌足
この人が藤原氏の祖先ですね?
もともとは「中臣(なかとみ)」という姓だったのですが、中臣鎌足が亡くなる直前に天皇からもらった名前が「藤原」です。
今じゃ藤原さんはどこにでもいますが、成り立ちは神秘的ですね。
藤原不比等
藤原不比等は中臣鎌足の子供ですね。
やったこととしては大宝律令の作成です。舎人(とねり)親王と共同で行いました。
後は養老律令っていうほぼ大宝律令と変わらないものを、「自分が出したんだぞ」といわんばかりに単独で出してはいますね。
藤原四兄弟
「武智麻呂(むちまろ)」「房前(ふささき)」「宇合(うまかい)」「麻呂(まろ)」っていうのが四人いました。
この人たちがそれぞれ
- 武智麻呂:南家
- 房前:北家
- 宇合:式家
- 麻呂:京家
という感じで派閥を作って別れていきます。
特に重要なのは北家です。平安時代に活躍する藤原氏は全員北家と覚えておいてください。
ちょろちょろあって…
他にもいますがそれはこちらをクリック。
また、外戚関係を初めて本格的に達成した人は光明皇后です。彼女は藤原氏で、というか皇族以外の人ではじめて天皇の皇后(奥さん)になることに成功しています。
藤原冬嗣
名前が寒そう…北家ですね。この人が北家台頭の立役者です。
何をやったかというと蔵人頭に就任します。
藤原良房
藤原氏で初の摂政になります。
ただ、この活躍には裏がありまして…他氏排斥というのをやっていきます。ライバルを不祥事で蹴落とす作戦です。
まずは承和の変で橘逸勢らを排斥します。橘逸勢は三筆の一人ですよね。橘諸兄の祖先です。次に応天門の変で伴善男を排斥するんです。国風文化で登場する「伴大納言絵巻」のモチーフになった事件です。
栄光の裏には影がある…
基経
藤原氏で初の関白になります。
後は…宇多天皇とちょっともめちゃいます。こちらですね。
時平
時平の時代は宇多天皇が政治をやっていたので時平は政治的には何もしていません。しかし他氏排斥はやります。
狙うは当時右大臣であった菅原道真。結果、藤原氏はまた他氏排斥に成功しました。この事件を昌泰の変といったりします。
忠平
他氏排斥をやります。これで四回目です。源高明を左遷させます。この事件を安和の変といいます。
他氏排斥をしまくった藤原氏に待ち受けていたものとは…
道長・頼通
藤原氏最高の栄華を誇った親子です。彼らがこんな感じになれたのは先祖がやった他氏排斥・外戚関係にあるんですね。きれいに見えるものほど汚い…
彼らがやった政治は摂関政治の中でも頂点です。
最後に
この藤原氏、没落します。原因についてはコチラをクリック。
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そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら。
いかがだったでしょうか?今回は藤原氏特集でした。ご覧いただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (9件)
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