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【藤原氏VSその他勢力】奈良時代のバトルをまとめ。(長屋王・藤原四子・橘諸兄・聖武天皇・藤原仲麻呂・道鏡・藤原百川)

こんにちは。

今回は奈良時代に起こった藤原氏とその他勢力とのバトルについてまとめていきます。

どの戦いもし烈ですね!との戦いが桓武天皇まで続き、時代は平安時代となっていきます。この時代のバトルは藤原氏が政権に立てば、他の者たちが取り返す…バトルなんです。

それではどうぞ。

目次

長屋王

この人は藤原不比等の死後権力を握ったんですが、藤原四兄弟によって謀反の疑いがかけられ自殺してしまいます長屋王の変という)。

やったことで有名なことは

  • 三世一身の法:開墾した田畑を最大で3代まで所有してよいという内容の法律

です。また長屋王邸宅にある木簡も重要な文化財となっています。

藤原四兄弟

長屋王の変により藤原四兄弟が地位を取るかに見えたんですが、四人とも伝染病で亡くなってしまいます!バチでもあたったんですかね。

藤原四兄弟はそれぞれ派生していき、

  • 武智麻呂は南家
  • 房前が北家
  • 宇合は式家
  • 麻呂は京家

を作ります。特に重要なのは北家ですがこれは全部覚えたほうがいいかなと思います。




橘諸兄

皇族出身です。読み方は「たちばなのもろえ」です。

遣唐使として派遣されてきた

を重用し、政治を運営していきます。

やったこととして有名なのは

です!また、藤原広嗣が橘諸兄の政治に反抗し乱を起こすが鎮圧されます。返り討ちですね。

尚、この時の天皇は聖武天皇です。

藤原仲麻呂

光明皇后の協力を得て、成長していきます!そしてなんと一族初の太政大臣に!光明皇后は藤原氏の人間なので当たり前といったらそうなのですが…

これをマズイと思った諸兄の子の橘奈良麻呂が仲麻呂に反抗するんですが、逆に滅ぼされてしまいます。またも返り討ちですね。

仲麻呂は淳仁天皇を擁立して自分は「恵美押勝(えみのおしかつ)」の名前を天皇からもらい、権力を持ちました。

ここまでは藤原氏、最高のムーブです。

道鏡

藤原仲麻呂は光明皇后が死去すると、勢いをなくし、代わりに孝謙太上天皇(女性。太上天皇とはすでに天皇となって今は天皇ではない人)が気に入っていた道鏡(僧侶)が権力を握るようになります。皇后の力が大事だったのか。

藤原仲麻呂はこの状況に危機感を感じ、淳仁天皇とともに二人を倒そうとするんですが、敗北してしまいます(恵美押勝の乱)。最後はあっけなかったですね。

その結果、孝謙太上天皇は重祚称徳天皇となります。重祚、覚えてますか?天智天皇のところで出てきました。今回で二度目ですがこれで重祚は最後です。

道鏡はその後も天皇に気に入られ続け、「太政大臣禅師」や「法王」という自分で勝手に作った役職に続々と就任し、権力を握っていきました。

これは道鏡の一人勝ちなのか!?

藤原百川

ところがどっこい!

称徳天皇はあろうことか道鏡を宇佐神宮の託宣(神のお告げ)によって天皇にまでしようとしていました

当時は神が今より信じられていたとはいえ、こんなこと許されるはずがなく、道鏡の横暴を阻止するために和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物が行動し、この計画を阻止したんです。

この事件を宇佐八幡宮神託事件といいます。

称徳天皇が死去した後は道鏡は下野(しもつけ)薬師寺に左遷させられ失脚。代わりに藤原百川(式家。読み方はももかわ)が入ります。

百川たちは光仁天皇を即位させ、補佐していきました。

この後、桓武天皇が即位することによって平安時代が始まっていきます。つまり奈良時代はここで終了となります。




最後に

今回は長かったですが、以上です!お疲れさまでした!

天皇のページから来てくれた方へ!次の天皇はこちら!

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