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【エリート留学生】遣隋使・遣唐使とは。人物を簡単にわかりやすくまとめ。

こんにちは。

今回はこんなテーマでやっていきます。

それではどうぞ。

目次

遣隋使・遣唐使とは、両者の違い

両方とも日本から中国へ使節を派遣したときの使節のことをこういいます。飛鳥・奈良・平安時代に送られていたものをこういいます。

  • 中国がと呼ばれていた時には遣隋使
  • 中国がと呼ばれていた時は遣唐使

が派遣されました。これが違いです。

目的

主に2つあります

  • 文化や学問を学ぶため
  • 中国に顔を合わせておくため

です。

当時中国はアジアの中でもダントツで強い国でした。当然文化や学問も栄えることとなるのでそれを学びに行くことで日本の発展につなげようとしたんです。

もう一つは中国に「ご機嫌いかがですか」とあいさつをするためですね。急に儀礼的になりましたね。




遣隋使

聖徳太子蘇我馬子が政治を行っていた時代に(中国)に送る使節として遣隋使を送ることにしました。

607年の遣隋使では小野妹子が送られ、隋に行きました。しかし、日本が持ってきた文書にの王煬帝(ようだい)が激怒します。手紙の内容が失礼だったんですよね。

小野妹子たちは隋の答礼使である裴世清(はいせいせい)とともに帰ってきます。

608年遣唐使

小野妹子とともに

が隋にわたります。この人たちはエリートだったので、大化の改新の際に、重要なポストに登用されることになります。

遣唐使

隋が滅び中国はになりました。なので、名前が遣唐使になりました。

初めて唐に行ったのが630年でその際には犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)という人が派遣されています。

この後も遣唐使は役人の中でも出世頭のエリートが乗り込んでいくことになります。

廃止へ

そしてここからだいぶ時が流れ平安時代になります。当時、はまだあったのですが、だいぶ衰退しており、日本としてもこれ以上から学ぶことはないという状態になりました。そこで廃止を決定します。

決定したのは宇多天皇。この天皇はまだ覚えなくていいです。そしてこの決定に助言をしたのが菅原道真です。聞いたことありませんか?

年号は894年ですね。「白紙(はくし=894)に戻す」なんていうゴロもあると思いますが、そこまで試験では出てきません。




最後に

みんな苦戦する文化史の勉強法についてはこちら

そして日本史の文化全体を幅広くまとめたおトクな記事はこちら

今回は以上です。もうそろそろ飛鳥時代が終わりそうです。ご覧いただきありがとうございました。

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